地域ブランドを売り込む

福島大学地域ブランド戦略研究所
代表 西川和明(経済経営学類教授)


* 第2回目「地域ブランドに地域の想いをこめる」

・・・どうすれば想いを形にすることができるか

2010年3月16日

  • 1.三つのステージ
  • 疲弊した地域をいかに活性化するかという場合に、“まちづくり”とか“地域おこし”という形で地域住民が活動を始める場合に、必要なのが「三つのステージ」

    三つのステージ

    である。

    三つのステージがなぜ必要かというのは、その継続性を保つためである。“まちづくり”とか“地域おこし”が行われても、それが単発で終わってしまっては意味はなく、長い間にわたってコツコツと努力を積み重ねて行くことが必要である。従って、一つ一つのステージをしっかりと形成していくことが重要となってくる。

    それぞれについて見て行こう。

  • ① アイデンティティ形成ステージ
  • 多様化の時代であるから、住民の好みはそれぞれバラバラである。しかし、コミュニティが希薄になってきている現在、何とかしなければならないと考えたときに、住民のバラバラになっているベクトルを1つの方向に向ける求心的な役割を果たすものが求められることになる。

    このステージは、地域のアイデンティティ形成の源となるシンボル的な「存在」あるいは「概念」を形成するステージである。それには、有形である歴史的遺物、自然景観、産品などから無形である地域の歴史、伝統などとともに、住民の内面的なもの、つまり、地域に対する誇り、あるいは逆に地域の将来に対する危機感などを共有することで、地域を残そうという強い意志を含んだ「アイデンティティ」が生まれる。アイデンティティ形成には次のようなプロセスがみられる。


    イ. 地域の歴史的建物あるいは風景が破壊されることに対する危機感からその保存運動が始まり、それを保存することが地域のアイデンティティであるという合意が形成されていく。

    ロ. 過疎、高齢化によってコミュニティの衰退に危機感を感じて、自分たちのコミュニティを残そうとする意思を共有することで「おらが村」的なアイデンティティが形成されていく。

    ハ. 「自分たちの地域にこんなすばらしいものがあったんだ」という新発見あるいは再発見を住民の多くが感じることで、地域に対する認識を新たにし、それがアイデンティティ形成の求心的な役割を果たす。

    ここで例として取り上げたいのが「市民創作函館野外劇『星の城、明日に輝け』」である。函館にはブランドと言えるものが多数存在する。函館山からの夜景がその最たるものであり、最近では特産品であるイカをテーマにした祭りも有名になってきた。函館市全体からすると観光客人気は高まっているように見えるが、個々の商店街に目を移すと客離れによって疲弊している商店街もいくつか存在する。五稜郭という歴史遺産を擁しながら五稜郭商店街は客の減少に悩んでいた。商店街の有志が商店街の活性化の方策について相談したのがフランス人宣教師のグロード神父であった。グロード神父は五稜郭に目をつけて、自分の故郷では古城を舞台に野外劇をやっていることを紹介し、商店街有志が興味をそそられてそのル・ピディフ野外劇を見学に行ったことから、1988年に五稜郭を舞台にした野外劇が始まった。

    長い歴史を刻んできたイベントであるが、同会(現在はNPO化してグロード神父が理事長)の輪島幸雄理事長代行によるとジリ貧も経験している。最初のうちは珍しくてみんなもやる気があったが、10年ほどやるとだんだん熱が冷めてきて参加意欲が薄れてきた。そのときに輪島氏が副理事長に担ぎ出されて、輪島氏はまず、コンセプトの明確化を行った。「アイデンティティ形成ステージ」である。何のために野外劇を行うかを巡って喧々諤々の議論を行ったのである。次の3点を明確にした。

・函館のダイナミックな歴史を誇りにしている。

・その時代を生き抜いた先人たちの努力に敬意を表する。

・函館はかつては北海道の中心であったこと、しかも函館への移民は
官主導では なく民の自発的な意思で行われていたことを誇りにする。


この意思確認を行うことによって、アイデンティティが形成されたといっていい。そして、再びこのイベントは活性化していく。2010年には22回目が開催される。

  • ② 交流ステージ
  • 事業・イベントステージを支えている部分であり、事業の実施部隊が交流するステージである。事業・イベントが生まれるインキュベート装置であると同時に事業・イベントを推進するジェットエンジンの役割も担っている。前項の函館野外劇の交流ステージの中心をなしているのが「NPO法人 市民創作『函館野外劇」の会』である。約500人の会員が活動を支えている。住民の活動を継続的な組織として運営することが重要である。

  • ③ 事業・イベントステージ
  • イベント、再開発、地域通貨、事業など表面に現れた活動である。当然、地域ブランドに関する活動もここにふくまれている。


    図の③の事業・イベントだけやってそのときは盛り上がったとしても、次にまたやろうという熱気を引き出すことは難しい。ところが、意見交換がなされる交流会としての場(図の②のステージ)が用意されていれば、その場で次の事業・イベントを生み出すことができる。

  • 2.事例にみる三つのステージ
  • それでは、こういう場をつくるにはどうすればいいか。「地域を何とかしたい」と考えている人たちが集まってきたとしても、その関心の度合いはそれぞれ異なるし、熱意も千差万別である。利害関係がからまっていることもある。そういう異なる点があったとしても、共通の想いを持つ事によって、バラバラの方向に向いていた関心を一つの方向に向けさせ、「共有するアイデンティティ」を持つ事によって、参加者の想いを一つにすることが可能となる。それがアイデンティティ形成の場であり、これを②の「交流の場」に進めることになる。そして、この交流の場を継続してもつことによって、事業やイベントが継続的に行われることになる。以下は、日本政策投資銀行地域企画チーム編著になる「実践!地域再生の経営戦略」 に掲載されている事例を分析してこの3ステージに分けてまとめたものである。

    「想いをこめる」というのが、この第1ステージのアイデンティティ形成ステージである。事例の馬路村の場合、林業によって村民の生活が支えられてきたが、林業の衰退によって人口もピーク時の半分になるという落ち込みの中で、村再生への意気込みがアイデンティティとして村民のベクトルを一つの方向に合わせることになった。

新潟県村上市

地域 事業イベント・
ステージ
交流ステージ アイデンティティ
形成ステージ
 新
 潟
 県
 村
 上
 市
旧町人町の近代化計画浮上を契機に、市民主導による町屋の魅力を外部に発信する取り組みが展開されている。 来訪者に町屋内部を公開することから始まった活動は、5億円の経済効果を生み出すイベント開催、さらには市民の金銭的、人的な支援を受けた町並み整備へと広がりを見せている。 活動としては、まず22軒の協力を得て待ちやマップを作った。そして町屋内部を公開することで散策者が増えていった。次に3月には60軒の協力で「ひな人形巡り」を開催している。村上例大祭にあわせて各店が所蔵す屏風を披露する「城下町村上 町屋の屏風祭」も開催している。 町並み作りとして、市民の寄付による黒壁作り(ブロック塀に黒壁を貼り付けていく)と昭和色の外観の商店街作りも進行している。 町屋公開については町や22軒の賛同を得られ、そして1998年7月に「村上町屋商人会」を結成した。
ひな人形巡りには60軒が協力していること、黒壁作りを進める「チーム黒壁プロジェクト」では一口1000円の寄付によって150メートルの黒壁が完成している。
商店街の「町屋の外観再生プロジェクト」では、市民から年間1000万円の寄付を10年にわたって集めている。
外観再生には「村上大工 匠の会」が組織されて外装を請負っている。これによって村上大工の伝統を継承していくことを企図している。
村上氏は江戸時代は内藤家の城下町として栄え、市内には、城下町を構成する四大要素といわれる武家屋敷、城跡、町屋、寺町が今なお残っている。
1995年に道路拡幅にともなう旧町人町の近代化計画が区画整理事業として、近代化反対が区画整理事業として浮上した。旧町人町で鮭加工食品製造業を営む芳川真嗣氏は「近代化ではなく村上らしい独自の個性をいかしてこそ村上は元気になる」と確認して、近代化反対の著名運動を行ったが、近代化を望む商店街関係者らの反対により著名活動は断念に追いやられた。
吉川氏は「古いものを活かして町を元気にし、成功させ市民の意識を換えることにより、町の方向を変えていこう」と決意し、来訪者から町屋内部を評価されたことを思い出し、町屋の魅力を広める活動を開始した。

高知県馬路村

地域 事業イベント・
ステージ
交流ステージ アイデンティティ
形成ステージ
 高
 知
 県
 馬
 路
 村
馬路村農業協同組合は、全国の農業関係者がもっとも注目する存在だ。1980年代以降、主要産品である柚子の加工品販売に取り組んだ結果、2000年の売上高は25億7000万円に達した。 村の予算(16億円)を上回る売り上げを柚子加工品だけで稼ぎ出している。山間部にはゆず栽培が行われていた。東谷氏は80年に柚子担当となる。 付加価値をつけた加工品の販売ルートの開拓が急務と判断し、首都圏と関西の百貨店で開催される物産展に積極的に参加するようになる。多いときには、1年間の4分の1県外の宣伝販売に出かけることがあった。 東谷氏が目指したのは顧客リストの拡大である。県外で宣伝販売を行うたびに、何人かの顧客リストを得ることが出来た。「顧客リストが3000人になったら本格的な販売戦略を打ち出そう」と考えていた。 86年、後に大ヒット商品となるポン酢しょうゆ「ゆずの村」が誕生した。引き続き、88年、ユズジューズ「ごっくん馬路村」が開発されると外部のデザイナーを起用して統一な商品イメージ戦略を打ち出すとともに、テレビコマーシャルも行った。88年にユズ加工品の売上高が1億円を突破し、それから2000年まで12年連続増収を記録した。雇用効果としては農協のユズ加工場には58人が働いており、村の一大産業となった。 村で生産された柚子はすべて農協が囲うように購入する為、農家は青果市場の動向にかかわらず、安定した収入をえられるようになった。 東谷専務は、「これからの村づくりは、お金をかけて立派なものを作るのも一つの手ではあるが、地域住民を巻き込んで行うことが重要である」と語っている(鳥取県美しく豊かな村づくり大会2003の講演会) 山林が村の面積の96%を占めていて、農業に適すると知がほとんどなかったことから林業が発展して1960年には人口が3400人のピークに達した。その後、林業が衰退して今ではピーク時の半分。村の安定的収入の道が模索されていた。

* 第1回目 地域ブランドとは何か

2010年3月2日

  1. ブランド
  2.  最近の地域を表現する場合に、「少子高齢化」、「さびれた商店街」、「耕作放棄地」というようなマイナスイメージをもった形容詞のつく場合が多い。そして、それを打ち破ろうという住民の手で、地域の資源を活かした“地域おこし”の活動が多くの市町村で行われている。こういった活動の共通のキーワードとして「ブランド」をあげることができるだろう。自分たちの活動を「形のあるものにしたい」という情熱が「ブランド」につながっているのである。住民たちの想いが形になったものが「ブランド」と言う

    ことができよう。 ちなみに、小江戸と言われるまちづくりで有名な川越を例にとると、“小江戸川越”という言葉は既に「ブランド」になっていると言えるのではないか。その名前を聞くだけで、行ったことがない人でさえ、写真などで見知っている町のたたずまいを頭の中に思い描き、一度その中を歩いてみたいと思うに違いないからである。

    それでは、「ブランドとは何であるか」について考えてみたい。英語の“brand”という単語は、そもそもは、欧米において自分の所有する家畜を他人のものと区別できるように家畜に焼印を入れていたことに始まる。つまり、「焼き印を押す」という意味の“burn”の受身形である“burned”が今の “brand”になったと言われている。  このように、ブランドは、そもそもは、物やサービスを他社のものと区別するための名称あるいは、ロゴやマークであったと言える。

    しかし、様々な商品が誕生し、歴史を刻んでいくうちに、たとえばある商品の愛用者が貴族とか王族のごく限られた階層ということになると、その商品は単に「モノ」ではなく、それを所有することによる喜びあるいは誇りという目に見えない価値が加わり、市場においてもそういった価値を反映することで高い価格で取引される、あるいは稀少性のために手に入りにくいという物が現れるようになった。いわゆる「ブランドもの」と呼ばれる高級ブランド商品である。

    したがって、現代におけるブランドの定義としては、「人々の使用においてある魅力的な価値を有していると同時に、信頼、好感、尊敬、愛着といった感情を抱かせる商品の名称など」ということができる。

  3. 地域ブランド
  4. それでは、地域ブランドについて考えていくが、地域ブランドはどうとらえるかで、3つの意味を有している。一つは、地域そのもののブランド性である。北海道、京都というのはブランド力のある地名であると言われている。前項で取上げた川越もこれに該当しよう。二つ目は、「地域の特産品」であって、「どこどこの何」という名称で呼ばれることの多いものである。伝統的なものでは「京都の八橋」とか「博多の明太子」などがあり、最近では「宇都宮の餃子」、「富士市の焼きそば」などがある。最後に、最もせまい意味でとると、特許庁の制度である地域団体商標のことを地域ブランドと言う場合がある。この場合の地域ブランドとしては「小田原かまぼこ」、「大間まぐろ」など447件が特許庁に認められている(22年3月現在)。

    こうして、地域ブランドを見ていくと、まず、地域というイメージが存在し、そこに商品という実体が加わることによって、地域に対するイメージという無形のものと、商品そのものの両方に対する価値認識が融合したものが地域ブランドということができる。

    特許庁のいわゆる地域ブランド447件のうち、ダントツに登録の多いのが京都の57件である。次が北海道の12件である。ブランド総合研究所の行っている地域ブランド調査というのがあるが、都道府県で魅力度のある、つまり、観光に行ってみたい、住みたいという魅力度は京都と北海道が同じくトップ2である。

    地域ブランドである「京菓子」、「京友禅」、「京染」と耳にするだけで、京都の街の歴史を重ねた趣のあるたたずまいが頭の中に浮かんでくるのである。観光地としても名高い、つまり、地域としてのイメージの高いところに地域ブランドが多いというのは決して偶然ではなく、地域としての魅力のPRと当該地場産品の知名度向上という2つの努力が車の両輪として行われてきたことがあげられる。

    それはどういうことかについて述べていきたい。現代はまさにモノにあふれた社会である。消費者にとって生活必需品としてのモノは既に充足している状態にあるといえる。このような市場においては、「モノを売るのではなくコトを売ることが大事」とよく言われる。感性に訴えるマーケティングである。たとえば、オートバイは、ものづくりの面からいうと日本製のオートバイは世界最高の技術水準で作られており、価格的にも手軽なレベルである。日本メーカーの販売店に入ると、オートバイが所狭しと並べられている。オートバイだけが並んでいる店構えである。まさしく「モノ」を売っているのである。一方、米国のオートバイメーカーであるハーレー・ダビッドソンの販売店に入るとちょっと様子が違う。オートバイのほかに、ジャケットやブーツなどの衣料やバイクに好みで取り付ける付属品のスペースがかなりとってある。こうした商品もどちらかというとアメリカの文化を感じさせるものばかりである。ここでは、バイクそのものを売るのではなく、バイクを楽しむ生活というコンセプトを売ろうとしているという姿勢がうかがわれる。「モノを売るのではなくコトを売る」という一つの事例である。

    地域ブランドに言えるのが、まさしく「モノを売るのではなくコトを売ること」である。冒頭で述べた「住民たちの想いを形にする」ということが、まさしく「コトを売る」ことにつながるのである。

    次回以降は、「どうすれば想いを形にすることができるのか」について考えてみたい。